季節のたより
七五三
個人会員 奧谷 出
11月は、七五三詣の季節です。
昔は11月15日が七五三の日とされていましたが、今では土日や祝日に合わせてお詣りをするご家庭が多くなっています。
私自身も、子供の七五三のお詣りに、土日のどちらかに出かけた記憶があります。
七五三の由来(その1)──起源
七五三の起源は、天和元年(1681年)旧暦11月15日、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の長男、徳川徳松の「髪置きの儀」にあるとされています。
この儀式は関東から京都・大阪へ、そして全国へと広まりました。
旧暦の時代、毎月15日は暦学上の吉日とされていました。
天球を28のエリアに分けた「二十八宿」のうち、15日は「鬼宿」にあたり、鬼が外に出歩かない日とされていたため、吉日と考えられていたようです。
また、旧暦11月は収穫を終え、神に感謝を捧げる月。満月となる15日に、氏神への収穫の感謝とともに、子どもの成長を祈る風習が生まれたといわれています。
七五三詣は江戸時代に始まった神事であり、正式には旧暦の「数え年」で行うものとされていました。
明治の改暦以降は新暦の11月15日に行われるようになりましたが、現在では11月中の土日祝日に行うのが一般的になっています。(七五三 – Wikipedia)
七五三の由来(その2)──3・5・7歳の意味
七五三が3歳・5歳・7歳で行われるのには、それぞれ意味があります(七五三 – Wikipedia)。
🌱 三歳(髪置き)
江戸時代には、三歳まで髪を剃る習慣がありました。その習慣を終え、髪を伸ばし始める節目の儀式が「髪置き」です。数え年三歳(満年齢二歳)で行われ、主に女児が対象ですが、男児が行う場合もあります。
剃髪は「病気除け」の意味が強く、髪置きは「健康になった証」としての儀式です。髪を伸ばすことは、仏教的には「煩悩の象徴」とされる一方で、民間信仰では「人としての成長」や「社会への参加」の象徴でもあります。
🏯 五歳(袴着)
数え年五歳(満年齢四歳)で行う「袴着(袴儀)」は、男児が初めて袴を着る儀式です。
平安時代の公家の慣習に由来し、武家では男子のみが行ったため、次第に男児の通過儀礼として定着しました。
幼児期の着物は動きやすさを重視した簡易なものですが、袴は構造が複雑で所作も求められます。五歳頃には身体がしっかりしてきて、袴を着こなす力が備わるため、袴着は「成長の証」としての意味を持ちます。また、袴をはくことは「立場を意識する」「節目を迎える」文化的な装いでもあります。

喜多川歌麿(1795年頃)
(【ウィキペディア】七五三より)
🎀 七歳(帯解き)
数え年七歳(満年齢六歳)で行う「帯解き(紐解き)」は、女児が付け紐の着物を卒業し、大人と同じ幅の帯を結び始める儀式です。身体の成長に伴い、装いも一歩大人に近づく節目として位置づけられています。
この儀式は、もともと「紐落とし」と呼ばれていました。鎌倉時代には、幼児の着物に付けられた紐を外すことが通過儀礼とされ、「紐解き」とも呼ばれるようになります。やがて帯を結ぶ文化が定着するにつれ、「帯解き」という呼び名が広まりました。
紐落しは、5~9歳の間に、それまで着物を留めていた紐を帯に変える儀式であり、帯解きとも呼ばれました(『日本文化いろは事典』より)。
この実践に対して、江戸時代の将軍・徳川綱吉が儀式名を整える際、「紐解」と「帯結」を混同し、「帯解き」と命名したという俗説も伝えられています(末喜製菓『七五三の「七」の起源』より)。
誤解に由来する名称ながら、結果として「過去をほどいて未来へ進む」という象徴的な意味を帯びるようになり、今日まで受け継がれています。
七五三の由来(その3)──千歳飴
千歳飴の起源は、江戸時代の元禄・宝永の頃、浅草の飴売り・七兵衛が売り出した「千年飴」とされています。
「千歳」は健康と長寿を願う言葉。麦芽から作られた細長い飴を紅白に着色し、鶴亀や松竹梅など縁起の良い図柄が描かれた袋に入れて贈られます。(七五三 – Wikipedia)
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も
何せむにまされる宝子にしかめやも
(山上憶良『万葉集』5-八〇三)