第2回  粋に生き活きクラブ 開催報告(平成25年8月)



第2回  粋に生き活きクラブ 開催報告

第2回 粋に生き活きクラブ まずはこれ

第2回 粋に生き活きクラブ まずはこれ

日時と場所
日時: 平成25年8月6日(火) 17:00~19:00
場所: 産業交流プラザ 第4会議室
話題提供者: 加藤 幹雄氏


 馬堀海岸のBBQで始まった「粋に生き活きクラブ」の2回目は屋内でおとなしく行うことになり、産業交流プラザの会議室で缶ビールと乾き物のつまみで始まった。
 コンクリートの壁と窓のない部屋。主催者は、こういう環境でのアルコールは悪酔いするのではないかと懸念されていたようであるが、取り越し苦労に過ぎなかった。(主催者が現役時代を忘れてしまっていただけのことではある)
 個人会員が交代で話題を提供して話すことになり、最初は、範を垂れて主催者の加藤氏が名乗りを上げていたのだった。

暁に名告り鳴くなるほととぎす いや珍しく思ほゆるかも 『万葉集』

趣味の話
 趣味の話から始まった。
 大体趣味は誰でも持っているが、時間があると中々手掛けないが忙しいときには時間を探して意外と進むものである、収集から始まるものが多く、切手、切符、入場券、古銭等が定番のようである、などと展開してゆくところが加藤氏らしい。

 その加藤氏は女学校のバッチ収集から始めたというから、特筆もの。続いて切手、古銭、切符、も集めたが、今はカメラを集めているそうだ。動くものは少なく、ほとんどが故障しているが、50台以上が棚に飾ってあるとのこと。(何のことはない。ゴミ蒐集家と思えば?)
 飾るには多くのスペースがいる。一部屋用意するのに、家族との交渉に苦労をされたようである。(そう言えば、家の近くには、2階を夜の蝶、失礼、蝶の展示室にして開放している人がいる。)
 カメラの話から話題が東洋の魔女の中の美女、カメラのヤシカ(現在は京セラ)の早乙女さんに写真のDPEを教えたとの話が出てから、趣味の話は魔女の箒に乗ってどこかへ飛び去ってしまった。

第2回 粋に生き活きクラブ  ユニークな話がはずむ

第2回 粋に生き活きクラブ        ユニークな話がはずむ

ユニークな体験談
 加藤氏は、いろいろとユニークな体験をしてこられたようである。
 まず驚かされたことは、仮死状態で生まれ数秒の差で生き返ったという話である。生まれながらにしてお釈迦様、悟りの境地に達していたのかもしれない。そして、戦争による強制疎開や両親の離婚による母子家庭で苦労をされたようである。
 それから、終戦の日が快晴であることを記憶していること、受験写真が似ていないと偽受験生扱いされたこと、今上天皇が皇太子のころにお忍びでテニスをされている光景を目撃されていること、ある女優と蕎麦屋の息子との恋のキューピット役をされたことなどを面白、可笑しく話され、夏の夜の一時はあっという間に過ぎ去って行ったのであった。

誠実な人
 楽しいことも苦しいことも人生の思い出の一つだからと面白おかしく話して缶ビールと乾き物での一杯には丁度いい話題と思っていたようであるが、

(1) 役人なのに終電車で帰る忙しい日々だった
 (私の知る県庁OBは、C2H5OHの日々だった)
(2) 再就職した会社が倒産して会社更生法の適用を受けながら辞めさせられなかった

という話に、加藤氏の真骨頂が現れているのではないかと思われる。

第2回 粋に生き活きクラブ 珍しきかな笑顔2つ

第2回 粋に生き活きクラブ        珍しきかな笑顔2つ


次回の話題提供者
 人は苦しい体験を克服したときに成長するといわれる。加藤氏は、その苦い苦しい土壌の中で成長して来られたのであろう。改めて加藤氏への親近感が湧いてきたような気がするのは、私だけであろうか?

 次回の話題提供者の指名権限は、話題提供者にある。加藤氏は、テーブルの輪をゆっくりと一巡して眺めやってから、やおら阿部昭彦氏を指名された。さて、何を話してくれるのであろう? 次回をお楽しみに。


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