季節
4月の季語 「惜春」
個人会員 奧谷 出
惜春とは
春の過ぎ去るのを惜しむこと(『日本国語大辞典』)、である。行く春を惜しむともいう。時期的には、晩春あるいは暮春の時期であり、同義とされる。
何故惜春か
惜春の起源は唐の時代に遡る、といわれる。
惜春が取り上げられるようになる理由について追跡してみたい。
惜春詞 小野湖山
芳事茫々(ほうじぼうぼう) 誰にか問わんと欲す
青天碧海 枉(ま)げて相思う
笙歌(しょうか)一陣遊仙(ゆうせん)の夢
杯酒(はいしゅ)三春送別の詩
辛苦花を醸(かも)して花已(すで)に老い
生成雨に在り雨応(まさ)に知るべし
年来自ら覚ゆ栄枯の理
閲(けみ)して今朝に到(いた)って又また却(かえ)って悲しむ
小野湖山は明治の三詩人の一人。平安時代前期の公卿・小野篁(たかむら)の後裔といわれる(小野湖山 – Wikipedia)。
冒頭の詩句で、「芳事茫々 誰にか問わんと欲す(花が咲き、鳥が歌い、麗らかな春のあの楽しさは、今は跡形もなく、誰に問えばよいのか知るすべもない)」、と春を回顧している。
そして、「年来自ら覚ゆ栄枯の理 閲(けみ)して今朝に到(いた)って又また却(かえ)って悲しむ(春は来てまた去り、人生の栄枯、盛衰の理も十分承知している筈であるのに、いよいよ春逝くとなると哀愁に堪えないものがある)」、と結んでいる。
逝く春を惜しみながら、人の世のことわりと人生の感慨を述べたものといわれる。
杜牧は漢詩「惜春」の中で春は止まってくれないから惜しむのだといい、白居易は「惜春贈李尹」の中で、君はまだ若いから、美しい季節が去り行くことを残念には思わないわけだ」、といっている。
すなわち、老齢のものが、人生の栄枯を春の移ろいに重ね、行く春を惜しむのであろう。
惜春鳥
惜春鳥はウグイスの異名であり、春という季節のうつろいを惜しみ鳴く鳥である。「惜春鳥」も、人生のうつろいを重ねた憂愁の陰翳を帯びている、といわれる。
下記は、惜春鳥の和歌である。
声絶えず鳴けや鶯
ひととせに二度(ふたたび)とだに来べき春かは (藤原興風『古今和歌集』)
(声を絶やさずに鳴き続けなさい、ウグイスよ。春は今年2度と来ることはないのだから)
うくひすは過ぎにし春ををしみつつ
鳴くこゑ大きころにもあるかな (山部赤人『山部赤人集』)
(ウグイスは過ぎ行く春を惜しみ、鳴く声が一段と大きくなる頃でもある)
新井白石の『東雅』によると、惜春鳥は「莫摘花果(モテクワクワ、花果を摘むな)」、と鳴くという。
鶯はいたくな鳴きそ移り香にめでて
我が摘む花ならなくに (凡河内躬恒『古今六帖』)
一方、護花鳥(ウグイスの異名)は「無偸花果(ムチウクワクワ、花果を盗むな)」、と鳴くという。「花や果物を摘むな」と鳴くのが惜春鳥で、「花や果実を盗むな」と鳴くのが護花鳥といっているが、春を移ろわせるという観点からは、どちらも同じように思われるが、鳴き声や異名まで異なるのはおもしろい。摘むには仏様に供える花という意識があり、盗むとは言わないのであろうか。
惜春鳥や護花鳥は花が摘まれたり盗まれたりするのを惜しんだり警告したりするというが、次の和歌の愛宕鳥(ウグイスの異名)は、飛ぶときの自分自身の羽風(はかぜ)で花を散らし、春を移ろわせているではないかといっている。
羽風(はかぜ)だに花のためにはあたご鳥
おはら巣立にいかがあはせん (『三十二番職人歌合』)
職人歌合せは、職人の生態を詠んだ狂歌風の和歌を内容とする歌合せ(『広辞苑』)で、『三十二番職人歌合』は1494年に編纂されている(『ウィキペディア』鶯飼)。鶯飼いの職人(鶯を飼育・行商する職人)と鳥刺しの職人(鳥を捕獲することを生業とする職人)との歌合せで、鶯飼いの職人が詠んだ和歌である。
職人歌合の当時、ウグイスの二つの産地、山城国と丹波国の境にある愛宕山産の鶯は「愛宕鳥」、山城国愛宕郡大原郷産のものは「大原(おはら)鳥(どり)」と呼ばれていた。
和歌は、鶯の鳴合せで手許の愛宕鳥を巣立とうとする大原鳥にどのように対抗させようか、と歌っている(『ウィキペディア』鶯飼)。この和歌における「羽風(はかぜ)」は、はばたきなどによって生じる風のことであり、梅の花が自然に散るのを、ウグイスが追い討ちをかける意味合いで使い(『大言海』)、「あたご鳥」に「あだ(仇)」を掛けているという(『角川古語大辞典』)。