ウグイスの語源説考

 「うけ(槽)」や「うけ(保食)」という古語は、『穿ぐい栖』語源説のウグイスと同じく「穿つ」から派生した古語である(『日本語源辞典』)。一方、これらの古語は記紀に登場するが、ウグイスは万葉の時代から知られているにもかかわらず記紀には登場しない。そこで、これらの古語とウグイスとの関連を考えてみたい。

うけ(槽)

 「うけ(槽)」は「穿つ」からの派生語、中が穿たれて空っぽの大きな容器の意である(『日本語語源辞典』)。現在では「おけ」という。
 その「槽」は『古事記』や『日本書記』の天照大御神の岩戸隠れの段に登場する。天の岩屋戸の前で、天宇受売女命(アメノウズメノミコト)が「うけ」を伏せて踏み鳴らして踊り、天の岩屋戸に隠れた天照大御神を誘い出すシーンである。伏せた「槽」の上で踊る天宇受売女命は日本最古の踊り子といわれ79)、また踊った舞は神楽の起源とされる80)

 穿ぐい栖語源説に基づくウグイスと「槽」はともに穿つ(「内離つ、うかつ」)の派生語であり、同じ起源をもつ。また、ウグイスが茂みを穿ち木伝いする姿を神楽舞と見立てることがある90)
 「中国山地で普通に上演されている農村神楽を見慣れた者から見れば、細い枝が入り組んだ場所で足を使って跳びはねるウグイスの動きと、神楽のクライマックスである 立ち廻りの動きは実に良く似ている」、と記している。

 以上のことを考え合わせると、木伝いする鶯の動きが神楽に似ているといわれることもさることながら、「うけ(槽)」を介してウグイスと神楽は関連していることがわかる。

うけ「保食」

 うけ(保食)は、「うか」の交替形。うかつ(穿)と同根で、内部が穿たれてすっぽりと広い倉が原義である。ウカノミタマ(倉稲魂)とは穀料を保持する倉の神格化である53)。穿ぐい栖語源説に基づくウグイスと保食はともに「穿つ」と同根で、同じ起源をもつことになる。

『倭名類聚抄』保食神
倭名類聚抄

 保食神(うけもちのかみ)は『古事記』のオオゲツヒメと同一神とされることもあり、また、同じ食物神である宇迦之御魂神とも同一視され、宇迦之御魂神に代わって稲荷神社に祀られていることもある。神名のウケは伊勢神宮外宮の豊受大神の「ウケ」、宇迦之御魂神の「ウカ」と同源で、食物の意味である81)。右図の『倭名類聚抄』にも、「うけ」は「食」の義とされ、「保食神」は「食物を保持する神」と記されている82)

 ウカノミタマは、日本神話に登場する女神。『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記する。名前の「宇迦」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。また「宇迦」は「保食」(食物)の古形で、特に稲霊を表し、「御」は「神秘・神聖」、「魂」は「霊」で、名義は「稲に宿る神秘な霊」と考えられる。記紀ともに性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきた83)。前述のように食物神でもある。
 ウカノミタマは伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことである。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた83)

 4.1のウグヒスの古称で述べたように、『出雲風土記』の法吉鳥は、「稲の種籾を苗代に播く時期を告げる鳥」と考えられ、法吉鳥はウグイスの古称という『広辞苑』の説を裏付ける。また、宇武賀比売命となって法吉神社の祭神として鎮まったとされる。一方、法吉神社は稲荷神社でもあるので、その祭神は宇迦之御魂または保食神と重なり、これらの神はウグイスの化身と考えられる。

 以上から、「宇迦之御魂神」とウグイスは、穀物の神として同一視されるだけなく、「うか(宇迦)」は「うけ(保食)」の古形で、ウグイスとはともに「穿つ」の同根で同じ起源をもっていることがわかる。すなわち、「宇迦之御魂神」や「保食神」は穿った倉の中にいる神であり、ウグイスは穿った茂みの中にいる鳥である。

ウグイ(石班魚)の語源

 ウグイの学名はトリポロードン・ハコネンシス、箱根でよく捕れた魚84)、といわれる。春になると雌雄ともに鮮やかな3本の朱色の条線を持つ独特の婚姻色に変化する。婚姻色の朱色の条線より、「アカウオ」や「サクラウグイ」と呼ばれることもある85)。ウグイスと同じく春の象徴ということであろう。

 「ウグイ」の語源については、①スマートな体をしていることから、神事で御幣(ごへい)を掛けるために立てる神聖な杭である「斎杭(いくい)」が連想され、それが「うぐい」に転じたとする説、②「鵜がよく喰う魚」であることから「ウグイ(鵜喰)」と呼ばれたとする説、③水面近くを遊泳していることから「ウキウオ(浮魚)」と呼ばれ転じたとする説、がある83)
 「イクヒ」については、『出雲風土記』意宇(おう)郡には「有年魚、伊久比」、また『同』神門(かんど)郡には「則有年魚・鮭・麻須・伊久比」と記され典拠がある24)

婚姻色のあるウグイ
婚姻色のあるウグイ
『ウィキペディア』から引用

 上記の説とは異なり婚姻色から名付けられたとする説がある。『日本語語源辞典』では、「ウグイ」の古名「ウグヒ」を「穿ぐ火」と記し、その語源を「体の側部を穿って火色――赤色の線が横長に走っている」、としている。
 「腹赤(はらか)」と呼ばれる婚姻色を想定したうぐいが記紀に記され、「国栖奏(くずそう)」と呼ばれる古代から知られる舞楽に現れる。
 国栖奏は、毎年旧正月14日に、天武天皇をまつる浄見原(きよみはら)神社に奉納される舞楽である。『古事記』や『日本書紀』にも記され、壬申の乱では、大海人皇子(天武天皇)が吉野のこの地で挙兵する際に鑑賞され、天皇即位のあと大嘗祭などに奏で奉ることが定められ、宮中で舞われていたことが知られている86)
 その舞楽に献上される神饌(みけ)のひとつに腹赤(はらか)の魚がある。これが(ウグイ)であり、舞楽の中でも、「みよしのに国栖の翁がなかりせば腹赤の身贄(みにえ)誰か捧げむ」と詠われる86)、87)。奈良時代や平安時代には、「腹赤の魚」として宮中でも見られた光景であったと思われる。

 以上のことから、本語源説は、古代に知られていた腹赤と関連し、また穿グヒ栖語源説のウグヒスと語源が「穿ぐ」で同根となり、ウグイスと同様に中央部というモチーフが関連しており、根拠の明確な説である。婚姻色という季節感を日本人が持つようになったのは、奈良時代になってからだろうと推定されるので、「イクイ」に基づくものより「腹赤」に基づくものの方がウグイの語源説としては有力なのであろうと思われる。

ウグイスガクレ(鶯隠れ)の語源

『倭名類聚抄』鸎実
『倭名類聚抄』鸎実

 ウグイスガクレは、『広辞苑』にウグイスカグラの古名とあるが、語源は明確ではない。『植物名の由来』では、ウグイスガクレの名前について、「この木の幹に小枝が多くしげり、ウグイスが隠れるのにつごうがよいので”ウグイスが隠れる木”という意味でこの名が付けられたものであろう。……。もうひとつ、この木には甘い実がなるので、ウグイスにとっては、単なる隠れ家だけではなく、餌のなる木でもあるのであろう」88)、と推測している。

 ウグイスカグラの実は鸎実と呼ばれたことが知られている。平安時代の『倭名類聚抄』には 「鸎実 漢語抄云鸎実[俗云阿宇之智一云宇久比須之岐之実……]」と記されている89)。[ ]内は『倭名類聚抄』の著者の源順による注釈である。鸎は鶯の異体字である。
 『漢語抄』とは奈良時代の『楊氏漢語抄』のことであり幻の書といわれる。それには、「鸎実」と記されているので、実が古くから注目されていたことがわかる。「阿宇之智(あうしち)」と呉音で読みが記されているが、「宇久比須之岐之実」という説明があることから、平安時代には「ウグイスの木の実」とされていたことがわかる。平安時代には、ウグイスカグラは一名としてウグイスの木と呼ばれていたのである。 

 『倭名類聚抄』の記述などから、ウグイスがウグイスの木の茂みを穿ち木伝いしながら甘い鸎実を探し啄んでいる姿が浮かんでくる。その様子は、ウグイスの木にウグイスが隠れていると見立てることができ、「ウグイスが隠れているウグイスの木」を簡略化して「ウグイスガクレ」の木と呼ばれるようになったのではないだろうか。
 穿ぐい栖語源説によると、以上のように、「ウグイスガクレ」というウグイスカグラの古名の由来を説明できる。また、「隠れる」ということに視点があるのは、天の岩戸隠れと関係しているのであろう。ウグイスという名前の誕生は前述のように万葉の第2期と考えられるので、それに近い時期に命名されたとも考えられる。

 ウグイスの語源説として、ほぼ定説とされている「鳴き声語源説」については、『古今和歌集』の「ウグイスとのみ鳥の鳴くらん」の和歌にその典拠を求めているが、その和歌は、ウグイスという名前が存在していてその名前を和歌の中に隠した物名歌とか隠し歌と呼ばれる和歌なので、鳴き声語源説の典拠とするには十分でない。故に鳴き声語源説は典拠を失い否定されざるを得ない。

 一方、清水秀晃氏が1984年に提唱した「穿ぐい栖語源説」は、木々の茂みを木伝いする姿を茂みを穿ち隠れていると見立てる説である。この説は、「ウグイスというと、声はすれども姿が見えない」といわれる由来を語ってくれるという魅力がある。それ以外にも、本文でも述べたように、いろいろな疑問が解決される。

  1. 『万葉集』には、ウグイスが木々の間を木伝いする和歌が多数詠まれているが、「穿ぐい栖語源説」により、万葉の時代にウグイスという名前が誕生したと推定すると、そのような和歌が多数詠まれた理由が理解できる。また、「木伝い」という用語はウグイスにほぼ特化した用語といわれるがその理由も納得できる。
  2. 菅原道真は、『菅家文草』の中で「鶯、谷を出づ」という漢詩を詠んでいる。その中に、「新路は如今(いま)し 宿(のこ)んの雪を穿(うが)つ」という詩句があり、「穿つ」という言葉が使われ、かつ宿んの雪(残雪)を穿って進んで行く先を宮殿としている。その理由は、「穿ぐい栖語源説」および「鶯は央に通ずる」ということわざから説明することができる。
  3. 記紀の天の岩戸隠れの段で、天宇受売女命がうけ(槽)の上で踊った舞は神楽の起源とされる。一方、ウグイスが茂みを穿ち木伝いする様子を神楽舞と見立てることがある。
     穿ぐい栖語源説に基づくウグイスとうけ「槽」はともに穿つの派生語であり、同じ起源をもつ。これらのことから、木伝いする鶯の動きが神楽に似ているといわれることもさることながら、「うけ(槽)」を介してウグイスと神楽は関連していることがわかる。
  4. 『古事記』に記される「宇迦之御魂神(うかのみたま)」とウグイスは、穀物の神として同一視されるだけなく、「うか(宇迦)」は「うけ(保食)」の古形で、ウグイスとはともに「穿つ」の同根で同じ起源をもっていることがわかる。すなわち、「宇迦之御魂神」や「保食神」は穿った倉の中にいる神であり、ウグイスは穿った茂みの中にいる鳥であり、種蒔き時期を告げる鳥である。
  5. ウグイスカグラには、「ウグイスガクレ」という古名が存在するが、その理由は明確ではない。ウグイスカグラは、平安時代の『倭名類聚抄』などから、一名ウグイスの木と呼ばれ、またその実は「鶯実」とよばれていたことが知られている。
     ウグイスがウグイスの木の茂みを穿ち木伝いしながら甘い鸎実(ウグイスの木の実)を探し啄んでいる姿は、ウグイスの木にウグイスが隠れていると見立てることができ、まさにその木はウグイスガクレの木といえるであろう。
     このように、穿ぐい栖語源説によると、「ウグイスガクレ」というウグイスカグラの古名の由来を明らかにすることができる。
  6. ウグイについて、『日本語語源辞典』では、その語源を「体の側部を穿って火色――赤色の線が横長に走っている」としている。この説は春先に体の側部に赤色の条線が入る婚姻色を扱った説であり、「国栖奏」と呼ばれる奈良時代から平安時代に宮中で舞われていた舞楽の中の「腹赤」に関係して解かり易い。
     また、ウグイとウグイスの語源は、ともに「穿つ」を共有しており、一方の名称が成立すれば他方の成立を促進する可能性をもつ。

 これらに見られるように、穿ぐい栖語源説は、人々が身近に感じていることを出発点として語源説が構築されていると思われるとともに、古代の言葉や事柄との関わりを推定できる素材を提供してくれており、他のウグイスの語源説より魅力がある。

以上


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