テクニカルノート「コンピュータの歴史(2):コンピュータの世代」

その5 第3.5世代(1970年~):大規模集積回路(LSI) その2

 本稿は、連載中のコンピュータの世代についての4回目、論理回路として大規模集積回路(LSI)を用いたコンピュータの世代のその2について解説します。

7.ミニコンピュータ
 1970年代、ミニコンピュータは、集積回路の高集積化にともない高性能化と大容量化が進み、メインフレームの市場を侵食して市場を拡大した。いわゆる、ダウンサイジング現象である。
 それに伴い、ミニコンピュータ自体も度重なる変容を遂げている。

(1) 16ビットアーキテクチャの出現
 1969年に、データゼネラル社のNOVAは16ビットアーキテクチャを採用し、64KBの主メモリがアクセスできるようになった(データゼネラルNova – Wikipedia)。これを契機として、DEC社も12ビットのPDP-8の後継として16ビットのPDP-11を開発している(PDP-11 – Wikipedia)。
 日本では、日立が1969年2月に16ビットミニコンHITAC-10を開発し、富士通、日本電気、沖電気、松下通信工業、東芝などが相次いで発表をしている(ミニコンピュータ-コンピュータ博物館 (ipsj.or.jp))。
 1969年7月に、沖電気からOKITAC-4300が発表され、1ドル=360円のレートの時代に360万円で、1万ドルミニコンといわれ、コストパフォーマンスの高さから好評を博した(OKITAC-4300-コンピュータ博物館 (ipsj.or.jp))。

(2) 64K主メモリの拡張
 1970年後期のPDP-11では、仮想記憶をサポートするメモリ管理ユニットが採用され、物理アドレスは18ビットまたは22ビットに拡張され、64KBまたは64KWを超える物理メモリを取り扱えるようになった。仮想アドレス空間は16ビットアドレスのままであり、いわゆる逆バーチャルである(PDP-11 – Wikipedia)。複数のプロセスで64Kを超える物理メモリを利用できるようになった。
 NOVAはバンクスィッチングで主メモリ容量の拡張を実現している(データゼネラルNova – Wikipedia)。
 また、1974年、仮想記憶をサポートした16ビットミニコンECLIPSEをリリースしている(データゼネラル – Wikipedia)。
 日本でも、HITAC- 20のように逆バーチャルサポートをした例がある。

(3)32ビットスーパーミニコンピュータの出現
 1977年10月に、DEC社は32ビットアーキテクチャのVAX(Virtual Address eXtension)を公開した。OSとして、VAX/VMSが新たに開発され、仮想記憶もサポートされた(VAX – Wikipedia)。

 データゼネラル社も、1980年にECLIPSE MV/8000をリリースした。OSとして、AOSが開発され、仮想記憶のサポートと共に、同一のプロセス内で複数のタスクを並行処理させることができるようになった。このプロセスータスクという概念は、後に仮想アドレス空間はプロセス単位に割り当てられ、タスクは親プロセスの仮想アドレス空間を共有する方式である(Data General Eclipse MV/8000 – Wikipedia)。
 日本では、1978年に東芝がTOSBAC 7/70を発表し、その後各社が続いた(ミニコンピュータ-コンピュータ博物館 (ipsj.or.jp))。

(4)LSI化について
 1975年2月にPDP-11にLSIが採用された(PDP-11 – Wikipedia)。日本では、1975年6月に、パナファコム(現PFU)が国産初のLSIを採用した16ビットミニコン PANAFACOM U-100を発表した(ミニコンピュータ-コンピュータ博物館 (ipsj.or.jp))。 

(5)PDP-11のアーキテクチャのマイクロプロセッサへの影響
 DEC社のPDP-11のアーキテクチャはモトローラのマイクロプロセッサ68000の設計に影響を及ぼした、といわれている(PDP-11 – Wikipedia)。

(6) PDP-11のOSとパーソナルコンピュータへの影響
 PDP-11用OSは、サードパーティのものを含めると非常に多い。
・RSTS/E (Resource Sharing Time Sharing System/E):
 メモリ管理付きのマルチユーザ・タイムシェアリングシステム
・RSX-11(Resource Sharing eXxecutive-11): リアルタイムオペレーティングシステム
・RT-11(Real Time-11): シングルユーザ用リアルタイムオペレーティングシステム
・Ultrix-11: DEC社によって移植されたUNIX 
・サードパーティによって移植されたOSとして、UNIX系のOSを含めて20種類ほどあった。

 これらのOSの内、RSTS/Eは、ディジタルリサーチ社のCP/Mやマイクロソフト社のMSDOSに影響を及ぼしたといわれる。また、RSX-11は、VAX用OSのVMS(Virtual Memory System)やマイクロソフト社のWindows NT系を設計した、デヴィッド・カトラーが初めて設計したOS。Windows NT の遠い祖先にあたるといわれる(PDP-11 – Wikipedia)。

(7)C言語とUNIXについて
 1972年、AT&Tベル研究所のケン・トンプソンとUNIXの開発を行っていたデニス・リッチーはB言語を改良し、実行可能な機械語を直接生成するC言語のコンパイラを開発した。
 後に、UNIXは大部分をC言語によって書き換えられ、C言語のコンパイラ自体も移植性の高い実装のPortable C Compilerに置き換わったこともあり、UNIX上のプログラムはその後にC言語を広く利用するようになった(C言語 – Wikipedia)。

 UNIX (ユニックス)は、マルチタスク・マルチユーザ用対話型オペレーティングシステムである。1969年、AT&Tのベル研究所にて、ケン・トンプソン、デニス・リッチーらが開発を開始した。当初はアセンブリ言語のみで開発されたが、1973年にほぼ全体をC言語で書き直した。このため、UNIXは歴史上、初めて高水準言語で書かれたOSといわれる(UNIX – Wikipedia)。このとき使用されたコンピュータはPDP-11である。

(8)ALTOのGUI(グラフィカルユーザインタフェース)
 ALTOは、ゼロックスのパロアルト研究所で開発され、グラフィカルユーザインタフェース (GUI) をベースにした対話型OSをサポートするように設計された最初のコンピュータといわれる。1973年3月に動き始め、製品として販売されることはなかったが、社内外で2,000台ほど使われた。
 当時のミニコンピュータを使っていたが、マウス、ビットマップディスプレイ、ウィンドウシステム、ハイパーテキスト、オブジェクト指向、WYSIWYG(ウィジウィグ、What You See Is What You Getの略。ディスプレイに表示されるものと処理内容(特に印刷結果)が一致するように表現する技術)エディタなどの最先端の技術を使い、未来のパーソナルコンピュータのGUIを目指したものであり、2004年に工学分野のノーベル賞といわれるチャールズ・スターク・ドレイパー賞を受賞し、2010年3月にACM( Association for Computing Machinery)のチューリング賞を受賞した。
 アップル社のスティーブ・ジョブスはここに2回通い、その後のLISAやマッキントッシュの開発に活かされたといわれている。(Alto – Wikipedia)。

 ALTOは、SRI(Stanford Research Institute)インターナショナルのダグラス・エンゲルバートとダスティン・リンドバーグによって開発された oN-Line System (NLS) に触発されて、1972年にバトラー・ランプソン (Butler Lampson) が書いたメモ「Why Alto? 」の中で考案された(バトラー・ランプソン – Wikipedia)。

 グラフィカルユーザインタフェース(Graphical User Interface、GUI)は、コンピュータグラフィックスとポインティングデバイスなどを用いる、グラフィカル(ビジュアル)であることを特徴とするユーザインタフェース。キャラクタユーザインタフェース (CUI) と対比して語られることが多い(グラフィカルユーザインタフェース – Wikipedia)。


Comments are closed.