時候:春の季語 鶯

時候

春の季語 鶯

 鶯は春の鳥である。とはいうものの、多くの不思議な謎をもつ鳥である。ここでは、そのいくつかを紹介します。

伐木篇の鳥と漢詩「江南の春」

 謎の一つは、「鶯」についての原典ともいうべき『詩経』小雅・伐木篇の漢詩には、「鶯(おう)」という鳥の名前が記されていないばかりではなく「春」という季節も記されていないことである。
 伐木篇の漢詩の冒頭の詩句「伐木丁丁 鳥鳴嚶嚶  出自幽谷  遷于喬木  嚶其鳴矣  求其友聲 (木を伐ること丁丁(とうとう)たり/鳥鳴くこと嚶嚶(おうおう)たり/幽谷より出でて高木に遷る/嚶としてそれ鳴くその友を求める声)【木を伐る音が丁々と響き、鳥の鳴く声が嚶々とこだまする。深き谷からやってきて、高き木に遷るその鳴き声は、友を求める声だ】」(日加田誠『詩経』)、とあり、鳴き声しか記されていないのである。
 ところが、唐の時代になると、よく知られている杜牧の漢詩「江南の春」の冒頭の詩句には「千里鶯啼いて緑紅に映ず」と謳われ、春の情景の中で鶯が鳴いている様子が描かれる。

 この謎は、国文学者の渡辺秀夫により、漢の時代から唐の時代までの漢詩の流れを調査・研究した結果から、「初唐には、鶯(おう)は伐木篇の鳥の名前で季節は春ということが定着したこと」が、明らかにされている(渡辺秀夫『詩歌の森』)。しかし、その由来については、「嚶嚶」の鳴き声を拠り所にして清の時代にほぼ解明されたと考えられるが今回は割愛する。

鶯の中国と日本での使い分け

 中国では、カラス科の「コウライウグイス」を「鶯(おう)」と呼ぶことが唐代に定着した。「鸎」、および『詩経』に見られる「黄鳥」、「倉康」などはその異体字であった。
 現在の中国では、「コウライウグイス」は「黄鸝(こうり)」または「黄鳥」と呼ばれている(『ウィキペディア』鶯)。
 日本のウグイスはウグイス科の鳥で、漢字は「鶯」を当てる。「鸎」を使うこともある。その他の漢字を当てることもあるが、ここでは割愛する。中国では、ウグイスを「樹鶯」という。英語名「Bush Warbler」の影響と思われる。(『ウィキペディア』鶯)。

日本のウグイスの謎

 「ウグイス」という名前や「鶯」という漢字は、『古事記』や『日本書紀』には記されていない。しかし、『万葉集』には鶯という漢字が記され、その読みが「宇久比須」という万葉仮名で記されるようになる。この時点で、「鶯」という漢字は、日本と中国で異なる鳥の名前となったのである。
 日本では、飛鳥・奈良時代に中国から伝わった漢詩から「鶯」は「春に鳴く美声の鳥」という認識があったようである。そして、その延長上で、ウグイスに「鶯」という漢字を当てたものと思われる。同じく中国から伝わった陰陽五行説や『礼記』にも、鶯は春の鳥として記されていること、コウライウグイスは日本には存在せず、迷鳥として九州あたりで見られる程度だったことも影響しているようである。
 平安時代の『倭名類聚抄』には、「鸎 陸詞切韻云、鸎、〈烏莖反、楊氏漢語抄云、春鳥子宇久比須、〉春鳥也」、と記されている。「鸎について、奈良時代の幻の辞書『楊氏漢語抄』に「春鳥子」は宇久比須とされ、春鳥なり」と記されていた、という。すなわち、「春鳥子」をウグイスの漢字に当てることもあったのである。

 このような経緯から、「鶯」や「鸎」の漢字は日本と中国で異なる鳥に当てられる漢字となった。このことは、江戸時代に国学の興隆する中で貝原益軒が「ウグイスに鶯を当てたのは誤りである。中国のウグイスと日本のウグイスは異なる」(『日本釈名』)、と指摘したことがある。しかし、貝原益軒を始め国学者各々が違う漢字を当てたためにかえって混乱し、加賀千代女は次のような句を残している。
  うくひすや又言なをし/\ (加賀千代女 『千代尼句集』)
 結局、江戸時代には改善されず現在に至っている。

季語とウグイス

 ウグイスは早春から秋まで鳴き続ける。それは、稲の種蒔きの時期から収穫時期までと重なり、田の神や山の神といわれるようになった経緯がある。
 清少納言は、『枕草子』41段 「鳥は」において、

夏秋の末まで老い声に鳴きて、虫くひなど、良うもあらぬものは名をつけかへて言ふぞ、くちをしくすごき心地する。それもただ雀などのやうに、常にある鳥ならばさも覚ゆまじ。春なくゆゑこそはあらめ。

と云っている。「夏秋の末まで鳴くから「虫くひ」といわれるのだ、それも春鳴く鳥だからであろう」という。

 日本では、「鶯は春の鳥なり」としてきたが、それでは春過ぎて鳴くウグイスはどう呼べばいいのだろうか―――そんな素朴な疑問、謎を平安時代以降の人々は抱いてきたのではなかろうか。

 それは、芭蕉によって提案された次の句によって、江戸時代にようやく解決される。
  うぐひすや竹の子藪に老いを鳴  芭蕉『炭俵』
 この句で、芭蕉は老いを鳴く時期を藪に竹の子が生える時期としている。竹の子は初夏の風物である。こうして、「鶯が老いる」という表現は夏およびそれ以降のものに変わり、中国での理解と異なっていく。
 中国では、晩春に鳴く鶯(おう)を老鶯・晩鶯・残鶯・乱鶯などと呼び、単なる鶯と区別していた。鶯といえば、初春、仲春、晩春の春全般を指す言葉として使っていたのである。これは、陰陽五行説の影響であろう。

 陰陽五行説では、春を初春・仲春・晩春の三春に分け、春のものは初春に生まれ、仲春に盛んになり、晩春に老いて死んでゆく。
 春のものは、春の終わりには消えてなくならないと、自然界における四季の正常な輪廻循環ができなくなり、五穀豊穣が達成されない。

といわれている(『吉野裕子全集』)。正常な輪廻循環は、為政者にとっては重要な問題だった。それゆえに天子は春には東方に春を迎えに行くという迎春祭祀あるいは迎春呪術が行われていたのである。夏・秋も同様である。
 この思想によると、春のものである鶯は晩春あるいは暮春には消えてなくなる必要があり、老鶯とか残鶯という特別な用語が作られたものと思われる。

 芭蕉は、その用語の意味を変えて、代わりに夏以降に鳴くウグイスの名前としたのである。そして、ウグイスに親しむ文化の時代に発生していた問題を解決したのだといわれている。
 春の鳥を示すとき「鶯」の漢字を用いるのは、「鶯」の狭義の用い方であり、「鶯」には狭義と広義の使い分けが必要である。

晩春の体験と季語

 昨年の4月下旬に久しぶりに三浦半島の尾根沿いの山道を散歩していた。コロナ禍のためか人通りもなく、よく晴れて気持ちの良い散歩日和であった。照葉樹の木が一本だけ薄黄緑色の若葉を芽吹いているのが青空に映えている。もうそんな時期なのかなと思いつつ散歩を続けていると、一面に孟宗竹のある辺りにきた。
 見ると、竹の子が生えている。温暖化の影響なのであろう。そして、前述の芭蕉の句が浮び、「4月の竹の子」と「竹の子やぶに老いを鳴く」の対照も浮かんできた。「これで芭蕉の苦心も水泡に帰してしまうのか」と思い、自己問答を繰り返していた。(出)

参考文献
(1)『詩経』日加田誠 1991年1月 講談社学術文庫
(2)『ウィキペディア』江南の春、詩経
(3)『詩歌の森―日本語のイメージ』渡辺秀夫 1995年5月 大修館書店
(4)『倭名類聚抄』源順 元和3 年[1617]  国会図書館ディジタルコレクション
(5)『日本釈名』貝原篤信 元禄13年 [1700]  国会図書館ディジタルコレクション
(6)『枕草子』新日本古典文学大系 渡辺実 2017年4月 岩波書店
(7)『芭蕉句集』日本古典文学大系 中村俊定 1962年 岩波書店
(8)『吉野裕子全集』五行循環/十二支 吉野裕子 2007年11月 人文書院

(出)


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