エピソード:社内報編集長“奮闘記”

個人会員 仲田 清

 20年ほど前、現役時代の事業部子会社の企画管理部長の時の話です。管理部長といっても売上40億弱・社員100人強の会社のことで、人事・総務・経理・財務・企画その他もろもろ、要は雑用係です。
 当社は親事業部の事業再編のため、本業に関係の乏しい3つの小さなビジネスユニットを纏めてスピンアウトさせて発足した特殊な会社で、お互いにシナジーが乏しく更に現場中心の転籍者、設計/営業中心の出向者、中途採用者、加えて4月に私の管理部長異動と同時に営業譲渡で受け入れた企業文化も地域も異なる仲間も増え、良く言えば多士済々、言い換えればバラバラの会社でした。そのまとめ部門の長に、それ迄設計と営業しか経験がなかった私を任命する社長の度胸には感心しました。
 会社はその後 “選択と集中”を行い、4年で売上100億、利益率15%を達成し、最終的に親事業部を吸収する形で事業再編を完了しましたが、その話は別の機会とし、今回は社内報編集長のT君の話です。
 就任時のレクチャーの中で、課長から「T君が社内報を出したがっています」と相談を受けました。彼は1年前に入社した中途入社組で、パートの多いスーパーの店長という経歴から、複雑な労政事情に危機感を持ったようです。
 「物好きもいるもんだ」と思いながらも早速T君と話し、子会社単独の社内報発行などあまり例のない事でしたが、①途中で投げ出さないこと、②社外の費用を使わないこと、を条件に、社長の了承を取り付けてプロジェクトがスタートしました。編集長を頼まれましたが、面倒なことは嫌なので、言い出しっぺの彼に押し付け、私は発行責任者に収まりました。即ち、夜の編集会議幹事(財布)兼、外部からの雑音除け(用心棒)です。
 3ケ月後の7月9日にT君力作の社内報創刊号が発行されました。社内のコピー機でプリントできるようA3裏表、半折にして「堂々4頁の社内報の完成」の筈でしたが、素人の悲しさ、出来映えは・・・。途中で投げ出すなとは言ったものの、お先真っ暗です。ところがT君の人徳か、各部門から助っ人が現れました。特に編集レイアウトが得意なスタッフの参加で誌面が締まり、総員4人の編集局員により社内報の年5回定期発行を実現しました。
 発行体制が整い、1年も経つと編集も手馴れてきました。一方、配った社内報をちゃんと読んでくれているのか、社員からの反応が見えず不安でしたが、2年目を過ぎたころ、統合した会社出身の事業所長から「仲田さん、社内報いつも楽しみにしているよ。」と声を掛けられ、続けて良かったとつくづく思ったものです。工場を歩いていて「今度はうちの現場の紹介を載せてよ」と、声を掛けられることも出てきました。
 「社員の、社員による、社員のための」手作り社内報には即効性はありませんが、記事を書く人も知った人、記事の中身も馴染みの人、身近な話題で、社内報を通じて少しずつ人の輪が広がっていった気がします。幸い当社の社内報は定着し、T君の目指した社員融合の役割を充分果たしました。
 当社の場合、社員の思いからスタートしたボトムアップ型の編集部なのでモティベーションの心配はありませんでしたが、会社主導の場合は、編集者への動機づけが成功するためのポイントになりそうです。また、広告と広報の違いは、前者が“発信者が知らせたいこと”を伝えるのに対し、後者は“読者が知りたいこと”を伝えることにあると言った人がいますが、会社の知らせたいことと社員の知りたいことのバランス、そして目玉になるシリーズ記事を作ることが読んで貰える社内報の秘訣かと思います。なお、社内報は社員限定とはいえ、一度印刷物になると社外の目に触れる可能性もあることから、経営情報・技術情報や顧客の情報については会社として充分確認する必要があります。

以上


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