古今和歌集の春

鶯に誘われてシリーズ

古今和歌集の春  

 『古今和歌集』には、人の心を、梅や鶯に託して詠んだ歌が記されている。春のはじめから、その進行の中で、人の思いが、どのように託されているか、梅や鶯を中心に見て行こう。
 歌の解釈などは、片桐洋一著『古今和歌集全評釈』により、『古今和歌集』の歌の配列を基本にして、立春になった時点から始める。

  1. 年の内に春は来にけり一年(ひととせ)を
        去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ   在原元方(もとかた)

     この歌は、『古今和歌集』の巻頭の歌で、旧年中に立春がやって来た日に詠んだ歌である。陰暦では、一月に立春を迎えるが、暦と太陽の運行による二十四節気(せっき)との日数の関係から、前年の十二月に立春になることがある。この歌は、そのような年内立春を題材にしたものである。
     早くも年内に立春がやって来た。同じ一年であるのに、この年内の春の期間を、去年の春と言おうか今年の春と言おうかと戸惑っているようなポーズをとっているが、暦の新年よりも早く新春が来たという喜びという形で春を待望する心を表現し、年内立春に託して春を待望する心をみごとに表現している、という。
     

  2. 袖ひちてむすびし水のこほれるを
        春立つ今日(けふ)の風やとくらむ  紀 貫之

     立春の日に、昨夏のことを思い出しながら詠んだ歌である。暑いさなか、袖が濡れんばかりにしてすくって飲んだあの山の清水が、冬の間、凍っていたのを、今日、この立春の風が解かしていることであろう。
     昨夏の思い出が、冬の間は閉ざされていたが、今日春を迎えると共に復活したという喜びと感慨を、記憶との関わりの中で、水と風をもって抽象的に表現したもので、この歌は、『古今和歌集』の時代においては、心も詞もめでたく聞こえる歌で、古代中国の『礼記(らいき)』の「孟春之月、東風解凍」の影響を受けている、という。
     

  3. 雪の内に春は来にけりうぐひすの
        こほれる涙今やとくらむ    二条后

     春のはじめという題で詠まれた歌である。折りしも雪の降っているさ中に立春はやって来た。冬の間、凍っていた鶯の涙は、立春を迎えて、今やっと解け始めたのではないかと、やさしく思いやっている。春が来たといえば、待たれるのは鶯の声であるが、今はまだ無理なので、涙を解かし、鳴く準備をしているところだろう。
     平安時代の和歌は、作者の生(なま)の生活や感情をそのままに出すことは少なかったようであり、涙が凍るほど厳しい冬を持ち出し、暖かい春を待つ思いを表わしているのであろう、という。

     二条の后、藤原高子(たかいこ)は承和9年(842)に藤原長良の娘として生まれ、清和天皇の女御となる。陽成天皇を生んで、元慶6年(882)には皇太后になるが、寛平8年(896)に東光寺の座主であった善祐と密通した疑いで皇太后を廃され、延喜10年(910)に没する。没後、天慶6年(943)に復位する(『ウィキペディア』藤原高子)。
     この和歌は皇太后を廃され失意の中で詠まれたものといわれ、鶯の凍れる涙という表現の新規性ととともに、勅勘が解かれることを春に氷が解けることに掛けていることが想定されることから注目されている和歌である。

     「~の涙」という表現は、「鳴く」に「泣く」を掛けていて、鳥、虫、鹿など声を出して鳴く動物を擬人化して使うことがあり、優雅な表現であるという。
     『貫之集(和歌文学大系)』の次の歌も、鳥が鳴けば目から涙が出ると考えていたという。春雨を取り上げているのも、水ということで涙と関連する。

    • 鶯の来ゐつつ鳴けば春雨に
         木の芽さへこそぬれて見えけり     紀貫之『貫之集』
       
  4. 梅が枝に来(き)ゐるうぐひす春かけて
                    鳴けどもいまだ雪は降りつつ   

     まだ咲いていない梅の枝にやってきた鶯は、春を目指して鳴いているけれども、まだ、あたりには雪が降り続いている。冬と春が交錯する季節の状況、春らしい春にならぬもどかしさを鶯に託して、素朴に表現しているという。
     この歌は、当時の歌謡の一種である催馬楽(さいばら)でも、次のように、歌われていたようである。

    • 梅が枝に 来(き)居(ゐ)る鶯 や 春かけて はれ
      春かけて 鳴けどもいまだ や 雪は降りつつ
      あはれ そこよしや 雪は降りつつ
       
  5. 春立てば花とや見らむ白雪の
               かかれる枝に鶯のなく  素性法師

     雪が木に降りかかっている情景を題にして詠んだ歌である。人間と同様に、鶯も、暦の上で春が来たというだけで、心がはずみ、梅の枝にかかっている白雪が花のように見えてしまったのだろう。
     立春を迎えた鶯の喜びを好意的に説明しているとも解釈でき、鶯の目を通している点に、作者の趣向(しゅこう)が感じられる。
     雪を花と見誤るという表現は、中国の六朝(りくちょう)時代から漢詩によく見られ、唐の『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』に多数見られる、という。
     しかし、鶯が見誤るという表現は少なく、『白氏文集』にあるが、柳を扱っていて、「雪」、「梅」、「鶯」の組合せではないという。『万葉集』に、次の歌があり、注目されているようである。

    • 梅が枝に鳴きて移ろふ鶯の
         翼(はね)白妙(しろたえ)に沫雪(あわゆき)ぞ降る    『万葉集』
       

     一方、『躬恒(みつね)集(和歌文学大系)』には、

    • 雪と見て花とや知らぬ鶯は
         吹く春風のまだ寒きなり    凡河内射恒『躬恒集』
       

    という歌があり、同じ組合せであるが、咲いている梅の花を、雪と見なしている。
     

  6. 心ざし深く染めてしをりければ
       消えあへぬ雪の花と見ゆらむ  
        
     花に対する思いを深く心においてじっと待っていたので、立春になっても消えきらずに枝に残っている雪が、梅の花のように見えてしまうのであろうと、前歌を承(う)けて、花を待ち望む心を説明しているのだという。
     この歌は、作者みずからの心が春を待望し、花を求めるがゆえに、「心に思うこと」が、眼前にある景物(雪)よりも優先することを示していて、仮名序(かなじょ)の冒頭の「倭歌(やまとうた、和歌)は心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出すものである」というとらえ方の典型であるという。
     
  7. 春やとき花や遅きと聞きわかむ
       鶯だにも鳴かずもあるかな        藤原言直(ことなお)

     春のはじめに詠んだ歌である。暦の春が早く来過ぎたのか、花の咲くのが遅過ぎるのか、その声を聞いたら判断できると思って待望している鶯までも、まだ鳴かない。
     「春や疾(と)き」「花や遅き」と、自然に対して疑問を投げかけ、暦の上で春が来ても花が咲かないもどかしさを、鶯を待望する形でやさしく言いなしているおり、春を待ち、春を喜ぶ思いの切実さを消極的、間接的に表現しているのだという。
     『顕注蜜勘(けんちゅうみっかん)』でも、「心は、春になりたれども鶯もなかず花もさかずと待わぶる心なるべし」と、顕昭(けんしょう)は注釈しているという。
     

  8. 春来ぬと人は言へども鶯の
       鳴かぬかぎりはあらじとぞ思(も)ふ   壬生忠岑(みぶのただみね)

     春のはじめに詠んだ歌である。暦の上で春が来たなどと他人(ひと)は言っても、私が愛する鶯の鳴き声を聞くまでは、春とは思えないと、春を待望する気持を逆に言いなしているのだという。
     この歌は、前の歌に同感する形で配列されたものであり、「鶯の鳴かぬかぎりはあらじ」は、白氏文集の『潯陽(じんよう)の春三首』の漢詩「春生ず」の

    • 春生じて何(いづ)れの処(ところ)にか闇(あん)に周遊する。
      (中略)
      先ず和風をして消息を報ぜしめ 
      続いて啼く鳥をして来由(らいゆ)を説(と)かしむ

    の影響を受けているという。
     

  9. 谷風にとくる氷のひまごとに打ちいづる
       浪(なみ)や春のはつ花  源当純(まさずみ)

     寛平御時后宮(かんぴょうのおんとききさいのみや)歌合の歌で、谷川をわたる春風によって解けた氷の隙間よりほとばしり出ている白浪(しらなみ)、これが本当の春の初花である。ここまでに詠まれた花は、すべて雪の花であったが、浪の花こそが本当の春の初花だといっているだという。
     この歌には、鶯は直接出てこないが、鶯が谷にいるということは、『詩経』などにより、一般的に把握されていたことであり、また、この和歌の配列の前後から、この白浪を春の初花と見なして、鶯が当然やって来るだろうと感じなければならないのだという。
     

  10. 花の香(か)を風のたよりにたぐへてぞ
       鶯さそふしるべにはやる     紀友則(きのとものり)

     どこからか匂ってくる花の香を、風につれそわせて、鶯を招く道しるべとして山へ送りますよ。鶯を誘うのは、浪の花ではなく、やはり「梅が香(か)」であるといっているのだという。花とはいっても、春先なので、まだつぼみぐらいのものであろうという。
     

  11. 鶯の谷より出(い)づる声なくは
       春来ることを誰(たれ)か知(し)らまし     大江千里(ちさと)

     この歌は、鶯を誘い出すといった前の歌に同調し、鶯が谷から里へ出て来て鳴く声がもしなかったとしたら、春が来たということを誰も知ることがないだろうといっていて、一歩前進させているという。
     この歌について、他本に、「たれかつげまし」とあり、江戸時代、香川景樹(かげき)の『古今和歌集正義』では、「たれかつげまし」が本来の形であり、「鶯は谷より出る物にして形容するならば、ひろく世の中にかかりて今のはるくる事を誰かしらましといふにことわり叶(かな)ふべきなり。本句に調べのおくれたるをいたみてぞ今の優なる方に直されけん」といっており、次の『古今和歌集』の歌と同様に山里の歌であったが、『古今和歌集』の選集時に、調(しら)べのよい今のものに直したという説を、『古今和歌集全評釈』は引用している。

    • 鶯の谷より出づる声なくは
         春来ることをたれかつげまし
            大江千里『寛平御時后宮(かんぴょうおんとききさいのみや)歌合』

     鶯が「谷より出づる」ということについて、平安時代末期、藤原範兼(のりかね)の『和歌童蒙抄(わかどうもうしょう)』に、『毛詩(もうし)(詩経(しきょう))』「伐木篇(へん)曰(いわ)く、幽谷より出(い)でて、喬木(きょうぼく)に遷(うつ)る」の注釈があり、その後の資料もこれを引用するものが多いという。
     しかし、『古今和歌集前評釈』は、詩経では、「鳥」とあって「鶯」に限定していないこと、季節も早春と関わりがないことを指摘し、渡辺秀夫の「谷の鶯・歌と詩とー典拠をめぐってー」(『中古文学』第21号)を引用し、唐代の漢詩、李喬の「鶯」や司空睹の「残鶯百囀(ざんおうももさえずり)の歌」などの影響を受けているといっている。これらの詩の中には、鶯や早春が認められる。

    •        鶯               李喬
       
      芳樹は花の紅(あか)きに雑(ま)じり
        群鶯(ぐんおう)は暁の空に乱る
      声は分(わ)かつ折楊(せつよう)の吹(ふえ) 
        こうは韻(いん)をなす梅を落す風
      囀(さえずり)を写(うつ)す清弦の裏(うち)
        喬(たか)きに遷(うつ)る暗木の中
      友生若(も)し冀(こいねが)ふべくば
        幽谷の響(ひびき)還(かへ)りて通ぜん
       
    • 残鶯百囀(ももさえずり)の歌      司空睹
       
      残鶯一(いつ)に何(なん)ぞ怨(うら)む
        百囀(ひゃくてん)して相尋(あいたず)ね続き
            (中略)
      共に奇音を愛(め)づるも
        何(なん)ぞ親しむべけん
      年々谷を出(い)でて
        新春を待つ
       

     このような経過を経て、科挙の命題として『詩経』伐木篇の詩句が出題され、鳥は鶯として、幽谷を出る時期は早春として扱われたことが晩唐の『尚書故実』に記され、鶯、早春ということが定着したことを窺い知ることができるのである。
     長野県に喬木(たかぎ)村という村がある。村名は『詩経』の詩句から名付けられ、村の鳥としても「鶯」を制定しているユニークな村である(Webサイト『長野県喬木村』喬木村のご紹介)。 

  12. 春立てど花もにほはぬ山里は
       物うかる音(ね)に鶯ぞ鳴く     在原棟梁

     立春が来ても、山里は花の咲くのが遅いので、せっかくやって来た鶯も楽しい気分でさえずれないでいるという。春を待つ心が切実であるゆえに、時の進行、つまり春の深まり方はかえってゆったりと進行していくのだという。

    • 山里は物のわびしき事こそあれ
         世の憂きよりは住みよかりけり  読み人しらず『古今和歌集』
       

     春の深まりを停止させたり後退させる方法の一つは、歌の詠者の位置を変えることであり、今までの歌は都でのことであるという。
     

(奥谷 出)

 


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