鶯に誘われたセカンドライフのライフワーク

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鶯に誘われてシリーズ

鶯に誘われたセカンドライフのライフワーク

 このタイトルで書いてみようと思い立ったのは、「地域活動シンポジウム」でセカンドライフ云々の話を聞いたときである。

 私の体験からすると、鶯という鳥に出会ったという印象を強く残しているものは少なくとも3回ある。

 最初は、小学校2年のときである。学年末の学芸会で、「ウグイス学校」という仮面劇を行い、鶯という鳥がいることを知った。それが印象に残っているのは、オルガン伴奏をした人が初恋の人であったからであろうと思われる。しかし、そのとき教えられた鶯の鳴き声は「ホッチュンホッチュンケキョケキョケキョ」である。振り返ってみると、ずいぶん可笑しな鳴き声である。
 江戸時代には鶯の訛り声を聞くことが特に流行ったようである。

   うぐいひすの訛かはゆき若音かな 高井 几董(きとう)(『井華集』)

この句には、新鶯という詞書きがある。そして、やれ苔藤(こけふじ)、やれ宝法華経(ほうほけきょう)、やれ日月星(ひつきほし)と名前まで付けて呼ぶようになるが、「ホッチュン」などという鶯なのか雀なのか判別のつかない鳴き声は他では聞いたことも見たこともない。しかし、そんなことは露ほども疑わずに仮面をつけて舞台を乱舞しながら踊り回ったものである。

 2度目は、横須賀市に移住した直後のことである。休日の昼下がりに庭で一服していると、屋根の上の方で「ホーホケキョ」と鳴きながら飛び去って行く鶯を見た。「あっ、鶯だ」と思ったまではよかったのであるが、「えー、ここはそんな深山幽谷なの」という雑念が湧き、がっかりした記憶がある。鶯は深山幽谷にいると教えられ、日本全国のいたる所にいるという知識が欠如していたからにほかならない。

 そして、3度目は、定年退職をした翌日のことである。忘れもしない6月1日。照葉樹の森が若芽を吹き、濃くも薄くも緑に山を染め、初夏の香りのする暖かい昼下がり、いつものように散歩に出た。家を出て50メートルほど歩いたとき、突然、鶯の百囀り(ももさえずり)の鳴き声、すなわち大合唱が聞こえてきたのである。前方の小高い山、左側の丘のあたりから一斉に聞こえてきて鳴き止む様子もない。素晴らしい合唱である。
 それに感動するまではよかったのであるが、まだ百囀りという言葉も知らない頃であり、これはどうしたことであろうか、いつもの散歩コースなのに今まで聞いたこともない鳴き声だ。三浦縦貫道の工事が始まってから、料金所辺り一帯の雑木林が整備され、それとともに鶯が寄り付き、名所が出来上がっていた。散発的に鳴き声を聞くことはあったが、このような一斉の大合唱などは聞いたこともない。
 どうして今まで聞こえなかったのであろうか? 関心はその方向に向かった。そして、その理由を求め始めた。「そうだ、もう退職したんだ」、「だから、心にゆとりができたのだ」。「しかし、ゆとりができたといっても丸一日も過ぎていないではないか? 」、「それほど簡単に忘れてしまうような底の浅い仕事をしてきたのか? 」……。そんな自問自答の雑念が沸き起こり、百囀りの中で2時間ほど終着駅も見通せない葛藤をしていた記憶がある。
 振り返ってみると、可笑しなことを考え葛藤をしていたものである。それ以来15年ほど経つが、百囀りを聞いたのはそれを含めて2度しかない。このときは「ホーホケキョ」の百囀り、そしてもう一回は「ほほうほほう」の若音の百囀りである。鶯にとっても極めて珍しい現象なのである。

 この百囀りという言葉が日本に入ってきたのは、平安時代前期のことである。白居易の諷喩詩「上陽白髪人」に

  宮の鶯百轉するも愁いて聞くを厭う

と記された印象的な詩句による。宮沢賢治は、

  どうしたのだこの鳥の声は  なんといふたくさんの鳥だ
  鳥の小学校にきたやうだ   雨のやうだし湧いてるやうだ
  居る居る鳥がいつぱいにゐる なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く
  Rondo Capriccioso (「小岩井牧場」)

と、その鳴き声を評している。そして、どういうわけか、鶯谷駅近くの根岸小学校の門前に、「雀より鶯多き根岸かな」という正岡子規の句碑が建っている。宮沢賢治の詩を知る人のユーモアであろうか。

 葛藤に倦み家に帰って、『広辞苑』を引くと、鶯何とかという言葉がずらりと並んでいる。鶯という鳥はこれほど親しまれてきた鳥なのかと感動し、そして、鶯の調査・研究にのめり込むようになったのである。
 それ故に、初めのうちは「鶯に魅せられて」と言っていたのであるが、妻の忠告を受けて「鶯に誘われて」と変更したのである。妻の嫉妬であったのかもしれないと思うこともある。

 鶯の調査・研究といっても、鳥の個体についての生物学的な調査・研究ではない。鶯が歴史の中でどのように取り扱われてきたのかについて文化史的に調査・研究することである。最初に『古今和歌集』を読破し、『万葉集』に移るまでは順調であったが、文学の世界だけでは期待するものは得られないと考えるようになり、さてそれからが大変であった。
 インターネットで「鶯」を検索すると、数百万の検索結果が出てくる。それらを手間暇かけて選り分け丹念に調べ、見つかった書物や資料について、さらにインターネット検索を進めたり、大学の先生に読むべき書物の紹介依頼のメールを出したり、市立図書館・県立図書館・国会図書館に行ったりなどしながら、インターネッ検索を中心に明け暮れる日々が続いている。
 鳥の鳴き声は学習によって洗練されてゆくが、人間の言葉も学習によって上達して行くので、その観点から、鳥の学習過程の研究が近年盛んになっている。そういうことにも、首を突っ込んだりしている。
 対象分野は文学・民俗学・民族学・動物学・生物学・言語学・儒教・仏教・歴史学・農学・本草学など多様である。体系的に解説してくれるものは全然といってよいほどない。言葉も古文や漢文の知識も必要になってくる。時代も、弥生、縄文という時代まで遡る。中国の古代も関わる。
 そういうわからないものの中で過ごしていると、鶯に誘い込まれたことを恨めしく思うこともあるが、始めたからには少しづつでもよいから成果を出して行こうと思い返し、努力している。もう15年になる。鶯の調査・研究は難しいことを改めて痛感している。

 数日前に、セカンドライフとして継続できかつ大きな努力を要する趣味をもつことを勧める記事に出会った。その記事によると、会社勤め時代に使っていたエネルギーを10割としたとき、セカンドライフで3割位のエネルギーしか使わない状態が4,5年続くと、残りの7割のエネルギーを使う脳が退化してしまうといっておられた。誘われて始めたものであるが、そういう観点からも、ライフワークとして続けてゆきたいと考えている。幸い、鶯に関する疑問・謎はまだ多く残っている。

(奥谷 出)

 


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